クラインの鼻

右手に蝿の王、左手にウォーターシップ・ダウンのうさぎたちといったような按配で読書をしていたところ、ウォーターうさぎ内の、ダンデライアンが語るエル・アライラーの伝説が非常におもしろくてくすくすと笑った。穴から出ている尻を強くしてくれ! というエル・アライラーの言葉が昔の衛藤ヒロユキのギャグのようで大好きだ。結局、強くなったのは尻ではなくて尻尾と後ろ足だったわけから、本来はギャグとして書かれたものじゃないとは思うんだけれども。そんなこんなで、蝿を50ページ、水うさを150ページくらいまで読んだところで、おれは睡魔の不意打ちに遭ってしまってそのまま前方に倒れこみ、二時間ものあいだ頭の重さを支え続けることとなったおれの鼻は鈍痛を訴えた。明らかに軟骨が曲がっただろう。クラインの壺みたいな鼻になっただろう。なんかもう高次元のヒネリが加えられてるだろう。おれの鼻。
それはさておき、エル・アライラーはあまりにもforestだなあと思った。
ここだけの話、気が向いたときなどにforestの元ネタをちょこちょこと追っているおれなのですが*1、forestを先にやって影響を受けまくってしまっているために、元ネタたる児童文学やファンタジーのキャラクターがすべてforestのキャラクターか何かのような気分になるのですよ。いやむしろあらゆる児童文学やファンタジーがすべてアマモリと黒いアリスの妄想、言い換えればforestの作中作であるというくらいの気持ちなのだ! といってはさすがに過言だが、それに近いものがある。
forestはおれにとって、ラヴクラフトの小説(読んだ事ない、ごめんねラヴクラフト)みたいなものなんですよ。クトゥルーラヴクラフトの小説を起源とするように、ファンタジーはforestに収束したというわけです。forestを起源としてファンタジーが生まれているわけではないのだからその両者は同じではないと考えるのは正しくない。なぜなら両者とも、イーガンの万物理論で言うところの基石であるからです。時間なんて関係なく、基石が誕生したときに宇宙は過去へ未来へ完成する。2004年にforestが発売されたから、1950年くらいに指輪物語は書かれた。forestが原点!! いや待て、万物理論のオチはどうだったか。たったひとりの基石たる人物が登場するのではなくて、みんなが基石になったのではなかったか。ファンタジークトゥルーも、個々の作品すべてが基石なのではないか。あらゆる作品がそのジャンルを形作っているのではないかーー。ラララララーーーー。

*1:ウォーターシップ・ダウンのうさぎたちがそれにあたる。蝿の王は関係ないね。