綺麗な顔だねえ、幼女

記憶の中の苺ましまろについての論よ、出ておいで。
ボケる幼女(名前忘れた)が日常的な範囲でボケて、信姉という人が拳骨で突っ込むというまあまあ広く受け入れられそうな漫才的な掛け合いが基本フォーマットなのだが、このマンガの受け皿はわりと狭い。なんでか。伸姉が腕を振り上げるコマ→ボケ幼女がうつぶせで倒れているコマ、という、殴る瞬間や殴られた顔がまったく描かれない不思議突っ込み描写がいつもされているからだ。これには作者の信念を感じる。常にボケ幼女を整ったかわいい顔で紙面に晒すのだという意思を。コマの構成とかより、幼女のかわいさが絶対的に優先されている。そんなマンガなので、この絵が好きならば掛け合いも含めて不条理ギャグマンガくらいの感覚で楽しみながら読んでいけるが、絵が好きではないと読めたものではない。萌えイラストとおもしろテキストがたまたま同じ作品内にあるだけで、マンガっぽい相乗効果がまるで無い。この絵に興味がなければそのまま絵を見る意味がなくなってしまい、残るのは、数ページに一回でてくるボケ幼女のフキダシ内のおもしろテキストだけ。それでは物足りない。読んでられない。というわけなので、笑えるという線で人にこのマンガを伝えても、絵柄も含めて受け入れてもらわなければ、なにも伝わらない。