「ちびっこフォーク」を聞きながら

ゲームをやったりマンガを読んだりレポートを書いたりボーっとしたり、なにをしてるときでも(小説とオナニー時以外は概ね)おれは音楽を流してて、それは単純に音楽がかかってると気分がのるからっていう理由なんだけど、例えばそのレポートを書き終えてしまったときに、後ろでかかってる音楽をどう処理すればいいのかにいつも戸惑う。レポートを終えた瞬間におれが選択できる唯一の行動と言えば、音楽に耳を傾けることくらいのもので、一回傾け始めると、長い間聞き続けてしまってやめられない。ていうか、停止ボタンを押すタイミングがわからない。数十分ほどダラダラと聞き続けたあとで、あーこのままじゃあきりがないなあと思って停止ボタンを押すんだけど、その音楽が途切れる瞬間がこの上なく悲しくて嫌だ。ただただ虚無が押し寄せてくるような感覚。
あと、話は変わるけど、坂本真綾の日本語の歌って基本的にはしっかりと言葉を発音してるんだけど、ところどころに聞き違い誘発地帯が存在するなあとか思う。おれが感じたところでは、ちびっこフォ−クの「カフカ」が「閣下」に聴こえたり、うちゅうひこうしのうたの「アルデバランが」が「歩いてたランナー」に聴こえたりとか。なんつっても一番は「農夫」が「ノッフー」にしか聴こえないということなんだけど、ノッフーなんて単語はないから空耳アワーには使えない。