ワンダと巨像
- 出版社/メーカー: ソニー・コンピュータエンタテインメント
- 発売日: 2005/10/27
- メディア: Video Game
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近づいただけで腰が抜けてへたりこんでしまうような厳かな雰囲気の漂う巨像の存在感に圧倒されてパンツを黄色く濡らしながらも、巨像の懐に短剣一本という軽装で無謀にも飛び込み、巨像の足の毛をつかみ、そこから必死でよじ登り、ときには暴れる巨像に降り落とされないようにしがみつき、30分くらいかけて弱点である頭*1までなんとかたどり着いたら、短剣を持った右手を振り上げ、力の限り振り下ろしてその頭に短剣をザシュウと突き刺す、と、巨像がギュワアアアアと断末魔の叫びをあげて轟音とともに倒れる音が聞こえて、おれはその達成感とカタルシスに腰を抜かし、またパンツを黄色く濡らした。この最高に楽しい巨像戦以外にはほとんど何もないというシンプルさもまたいいね。
ゼルダしかりマリオしかり 3D アクションゲームには、小麦粉→卵→パン粉とか高二→将軍とかと同じくらいに基本的なダンジョン→ボスという流れがあるんだけど、ワンダはその流れをシェイプアップしていて、小麦粉と卵とパン粉を同時にまぶしたり高二なのに将軍だったりするようにダンジョン=ボス=巨像になっていて、というのも謎解きをして巨像の弱点への道をひらくというシステムはまさにダンジョンであり、上では巨像戦以外には何もないと書いたけど、3D アクションに必要なものは巨像戦にぜんぶそろっている。
あと、エンディングのワンシーンが心に残った。
ゲームには、映画のように複雑な脚本を語るだけの……映画でいうモンタージュ技法のような手法がまだ確立されていないと思うんです。もし、それをどこかの天才が発明してくれれば上手くストーリーを語るゲームが可能でしょう。でも、現状では、ストーリーをちょっと見せて、ゲームをちょっとプレイして、またストーリーを見せてというやり方しかできない。それでは、テレビゲームである意味はあまりないんじゃないかと。だったら、シナリオをつくることではなく、世界観をつくるほうに専念して、“ディテールに神が宿る”ではないですけど、その世界を体験したプレイヤー自身にストーリーをつくってもらうほうが、今のテレビゲームには合ってるんじゃないかと思うんですよね
PS WORLD - ワンダと巨像クリエイターロングインタビュー(おれはおまえのパパじゃない - ワンダと巨像より)
というような部分を感じられたからで、それは、ラカンだった。あぶないあぶない。もう換えのパンツが無かったよ。
。おれはこの技法に感心して腰を抜かし、みたびパンツを黄色く濡らすかと思いきや、膀胱はスッカまとめ
ゲーム的な必然性のないプレイングが、プレイヤーにストーリーを感じさせる!
*1:頭じゃない奴もいる