せかいで いちばん ぶらぶら させて

こんなに暑くてあらゆることが億劫でダレてしまう今だからこそ、持ち前のT-ShirtにIGJ(いけいけゴーゴージャーンプ!)の三文字を、東京デザイナー学院生並みのデザイン力で刻みつけることで、まずは上辺の積極性を身に纏い、纏い続け、そしていつかはIGJに包み込まれるように内面をも、カルチョビットにおけるプレッシングとドリブルとスライディングの練習を行うボランチのようなアグレッシブネスで満たすべきです。
さてここで、IGJ理論の提唱者たる姫ちゃんの出演作であるクビツリハイスクールじゃなくて姫ちゃんのリボンについて考えてみると、姫という言葉が指し示すのはオタコミュニティの紅一点以外の何者でもないので、これはオタコミュニティの紅一点がでっけえリボンを魔法の国の王女から貰って魔法少女になっちゃった、というストーリーにほかならず、そんなんどう考えても魔法少女に憧れるオタ女である姫ちゃんが自分の妄想ワールドに浸っているだけだと決着がつくけど、そもそも姫ちゃんのリボンは創作物だからそんな設定でいい。それでいいんだ。わたしは受け入れる。わたしは世界を受け入れる。パ、パヌルー!? ……キミィガァクゥチッズサムゥッボクゥハッキィイィテェルゥ。
とまあ、こういう全然話がつながってない文章を書いててそれなりに楽しいのはなぜか。
それは日記レベルの思いつきで論理的なことを書こうと試みたところでそれらはたいがい既出に違いねえから非論理を求める。という線。一文ごとになにかふざけるようなおもしろインターネッター文体の影響。という線。自分の日本語がなんらかの意味を伝えている自信がないから母語であるにもかかわらず正しい文法を意識してしまうことへの反抗。という線。などなど沢山でっちあげられる。
こういった数学の介さない領域の正しさなんて、どの線で説明すれば感情的にいちばん納得できるかということだけが唯一の指標なんだから、それぞれの理由を実際に書いてみて、一番説得力を持ったものが結果的にもともと正しかった理由と、成る、わけだけど、そもそも論理的なことを書くつもりがない理由を論理的に書いてみるなんて馬鹿げてるので、リサ・ステッグまあいいやー。