愛のクオリア

僕が抱いていた感情や意図そのひとつひとつを、君が、おれと同じように感じるとは限らないのだよ、ウォウウォウ、感じるわけがない。ヌォイェ、ところで物理現象の知覚に関するルルルルゥ、クオリア論はとても胡散臭いから、とくに、とみに、逆転クオリアなどという観測のしようもない、頭の冴えた思春期の思いつきのような、括弧いい意味で括弧閉じ、ものは、ほかならぬ頭の冴えた思春期に任せておきたいから、ならば、それならば、もともと精神という物理シカト領域を記述するための、言語に移植してこそ、クオリアという概念は生きるのではないか、魚魚、ではないか。そうすれば、はてな人文ワードとしての確固とした地位を築けるさ。一方、僕はさっき気づけたさ、留守の間に君の家に忍び込んで冷蔵庫にマグネットで止めておいた、新聞の切り抜き文字で書かれた「愛シテル。イツデモキミヲミテイルヨ。ミンナニハナイショダヨ」という言葉は、愛のクオリアを伝えてないって。僕の愛は君の嫌悪だったんだって。というのも、今、僕の手はコートで隠された手錠によって川口のパンチングみたいな形になってるから。指を開けばファイナルフラッシュみたいだから。ス防法違反の犯罪者として報ステデビューしちゃったから、括弧報ステの宣伝になっちゃうから紅白では差し替えなきゃなあ括弧閉じ。嗚呼なんてこったい、そこで僕は思うよ。シャバに戻ったらまず殺す。殺す。君を殺す。そうやって愛する君を永遠にするのさ。ユーウィルビーオンリーオンマイマインドウィズフォーエバーラーブ。そんなふうにそんなふうに僕は生きたいんだ。生きていきたいんだ。