アーティストとして純粋に好きなんですよと君は言う

ゲド戦記。テルーが綺麗に慣らされた草原でとつぜん歌いだす様はプロモーションビデオのようで、それをぐうぜん聴いて涙を流すアレンは「泣きました」系CMのようだった。もしかしてあれは本当にテルーの唄のプロモーションのためだけに存在するシーンだったのではないか。そんなことを思う。事実はわからないが、少なくともそう思い浮かぶに足るだけの唐突さと演出ではあった。「なぜ歌うのか」「なぜ泣くのか」「なぜ仲良くなるのか」そういった小さな疑問の光をすべて上書きして感情の空を覆うべく作られた、巨大な「いい曲だなあ」の人工雲。しかもこんな直球プロモーションに加えて、テレビでも飽きるくらいに流れていたのだ。なぜだ。なぜテルーの唄ばかり過剰に持ち上げて、エンディングテーマをまったく取り上げないのか。八月の末、公開からはだいぶん経っていて、さんざんゲド戦記の広告や感想を目にしているというのに、実際に劇場で聴くまでおれはこの歌の存在を知らなかった。
エンディングテーマの『時の歌』だ。
徹夜明け男inシアターの常として、うつらうつらとしながら、エンディングテーマに耳を傾け、下からせりあがるスタッフクレジットをぼんやりと目で追っていた。耳から流れ込む時の歌は、津波のようなアルファ波を脳に放つ心地の良い歌で、そして目に飛び込む

作詞:新居昭乃 作曲:新居昭乃

の文字列は、オタクの歌姫の手になる曲をそれと知らずに好くという、おれのオタク的な直観を感じさせてくれて、おもしろかった。これはいいエンディングだった。この数十秒だけで元は取ったぜ、と貧乏くさいことを思いつつ、眠りに、落ちた。