吉野紗香は起点

まだ読んでなかったの?!って感じなのですが、遂に読みました。
ブギーポップは笑わない
こんなに魅了された小説は初めてでした。
ライトノベルですが、あえて小説と言わせて下さい。)
戯言シリーズ西尾維新が刺激を受けたと
言う本物を、私も読んでしまいました。
本当に本当にかっこいい!!本当に本当におもしろい!!
そして芸術的で奥が深くて繊細で完璧でした。。。
続編の『ビートのディシプリン』も読んだし今は元の
ブギーポップシリーズを待ち望んで読んでいます。
シリーズ物なので、読むペースを一歩一歩にしてます。。。
全部購入したのですが、
中々届かなくて結局借りて読んでます(苦笑)。。。
全部小説で読み終わった後は、アニメで見たいと思います。
もし実写で映画化される事なんてあったら、是非是非、
主人公のブギーポップを私がやりたいです!!
そのためにも今から顔筋と精神を鍛えねば!!
ファンと言うか私の人生に無くてはならない生活の一部になりました。。。☆

吉野紗香の炎上エントリーを読んでみたら、同時翻訳的にこの改変ネタが思い浮かばれたんだけど、そこから特に実写版ブギーポップとしての吉野紗香についてのテキストをダダダダ打鍵する気も無かったので、アニメ版のブギーポップのことなどを考えていたら、懐かしいショックを思い出した。
6年くらい前に、インターネット初心者のおれが、良い検索材を思いついたぞーとばかりに大好きなブギーポップの大好きなアニメ版について検索してたら、傑作という評価を得ていないどころか、クソアニメという評価の方が多く感じられたっていう。あれはインターネット経験で最初にして最大のショックじゃったよ。原作よりアニメの方が好きなくらいだったおれが、気軽にアニメ版への愛を人と共有していい気分になろうとしたのに、その仕打ちだ! 一瞬にして人間の多様性というか、自分とはまったく相容れない人間が、それも大量に存在するらしいと悟ってぞっとした。おまえらぜんいん敵だと思った。今なおおれの心に暗い影を落としている。
という筋でいま考えを前進させると、原作を、原作を好きな人が見ても忠実と思えるようにアニメ化するというのが、おれもおまえも評価できてみんなしあわせ、すなわち京アニサイコーという結論になる。原作に興味が無い場合は、アニメをおもしろそうと思う必要がなくて、原作が好きな場合は、アニメもおもしろいだろうと信頼できる。そんな具合に単純に捉えられるので、アニメーションという媒体をものすごく軽視していて申し訳ないけど、楽ではある。
でも、らき☆すたはややこしい。らき☆すたに興味のない人間が、人気があるというのでつい興味を惹かれて見てみるけど、興味を持って集中して見るような内容のあるアニメじゃ決してないので、結局おもしろくない、という嫌な連鎖がありまくりだ。おれもそうだった。
あと、らき☆すたの話題となると頻繁に持ち出されるのがニコニコ動画だけど、ニコニコはらき☆すたのファンを生んだというよりは、らき☆すたアンチを生んでんじゃないかと思っている。
一時期はらき☆すたMADがニコニコのランキングのかなりの割合を占めていたから、興味の無いひと、またはランキングで興味を惹かれてらき☆すたを見たものの楽しめなかったひとにとっては、らき☆すた関連動画が、ニコニコのランキングにおける大量のノイズ、虫食い、あぼーんのようなものなので、かなり邪魔な存在だった。なんたってとにかく大量だからね。そしてそう感じた人の中から、らき☆すたを好きなやつは低脳、みたいなファンを攻撃する主張が生まれたのではないかと考えている。らき☆すたの内容よりも、ランキングにおけるらき☆すたMADのうざったさに腹が立っているわけだから、その原因であるMAD製作者、再生者、コメント者、マイリスト登録者、すなわちらき☆すたのファンに怒りの矛先が向くのは当然というわけ。らき☆すたにストーリーがないとかCDの広告だなんて主張は、すべて、『そんなものに踊らされるらき☆すたファン』という対象を批判するための手段でしかない。何度でも言うけど、らき☆すたには興味は無く、らき☆スタファンが嫌いなんだから、なんとしてもそいつらを攻撃したい。見下したい。排斥したい。
そんな感じ。
いやあ、文章なんてものは、予期していない方向にズンズン進んでしまうもので、途中かららき☆すたアンチに同調してしまったんだけど、別におれはらき☆すたもファンも嫌いじゃありません。ときどき邪魔に思ったりおもしろいと思ったりもするけれど、基本的にはヤジロベーや起き上がり小法師のように、常に中立の立場を志向しています。それがもっともポテンシャルが低いから、それだけの理由です。