湯冷めやばい

要するに『人間以上』について思ったのは、「高い評価をされている作品なんだから、なんらかのおもしろさは内包されているのじゃ」という一見あたりまえっぽいことなのよ。例えば、一輪車や竹馬に乗れないことによっておれはそれらの楽しさを知らないけど、だからといってそれが楽しくない娯楽だとは思ったりしないよねというようなこと。といっても、一輪車や竹馬だのといった肉体的な手触りのある娯楽ならば、物理法則という絶対的な秩序のおかげで、重力と地面と一輪車(竹馬)と自分とでバランスを取って立つという楽しみ方が明らかだから、まだ楽しさはおれの目にも見えているんだけど、文章や物語についてはなかなかそうもいかないのよね。物理法則ほど縛りの強い法則がないから。おもしろさとそれの土台となる秩序の存在は類推するのみで、まったく判断が付かない。楽しんでる人間もいるとは聞くけれどそれがおれにとってつまんない場合、たとえ好きな人の感想や説明を記憶したところで、好きな人の感想についての知識はついても、作品からそれを感じてない以上、依然として理解はできないまま。そんな中で、『夢みる宝石』をさっぱりわからんとつまらながってたのに、『人間以上』に対してはスタージョン大好きな人みたいな感想を抱いたなんていうおれの感想の変遷は実に劇的なんですよ。通れないと思ってた道を通ったわけですから、いままで感じられなかったスタージョンの秩序に自分で気づいたわけですから、これはもう風呂で読んでたら発見の歓喜で裸で飛び出していたかもしれない。シチリアはわりと温暖だからアルキメデスはぴんぴんしていただろうけど、真冬の北海道でそれは望ましくなかった。なんたって寒いから、シチリアより早く湯冷めしてしまうところだった。