まぶたの裏日記

前から走ってきた自転車の男が、おれの数メートル前で、帽子を風に飛ばされた。男は急ブレーキをかけて自転車を止め、拾いにいった。世界中どこでだって見られるような風景だ。だが、今日はそれが三人連続で起こった。三人連続で前から自転車がやってきて、三人連続で帽子を飛ばされて、三人連続で同じような動きで拾いにいった。一人目は気にも留めず、二人目はおもしろかったけど、三人目には狂ってると思った。正気をうたがった。しかし、誰の? 狂気と形容されるような行為にも、それを生んだ人にだけはわかる意味はあるものだけど、こういう偶然の繰り返しには、何の意味もない。うたがうべき正気もおそれるべき狂気もありはしない。おれは一切話が通じない意思に対峙しているような気がして立ちすくんだ。何を懺悔してもどこに逃げても決して赦されず、おれの前方からは繰り返し繰り返し自転車に乗った男がやってきて帽子を飛ばされるんじゃないか。目を閉じてもまぶたの裏を自転車が走り、屋内に逃げこんでも帽子は風に飛ばされるんじゃないか。そんな気がしてきた。ひえ〜、おたすけ〜〜!
おれが小学生だったら一生のトラウマになっているかもしれない日常のひとコマだった。
と、ここで思ったけど、小学生の体育帽にゴム紐がついているのは、たとえば、二時間目のかけっこの二十メートル地点で第二レーンの走者の帽子が毎回二メートル飛ばされる、とかそういう偶然による現実のほころびを避けるためなのかもしれないな。帽子を頭に留めることは、ふとしたことで幻想の世界に飛んでいってしまうこどもたちを現実につなぎとめることでもあったのだ。
とまあそんなこんなで、自転車の男たちによって現実崩壊の恐怖のさなかにいたおれだったけど、家に帰ってアイドルマスターを遊ぶことで救われた。恐怖のなかにありながらも手を離さなかったマイクロソフトポイントカードのコードを打ち込み、配信されたばかりのオトメサンバやキュンキュンメガネを買い、真に着せたから、もう大丈夫なんだ。いま目を閉じてまぶたの裏のスクリーンに映るのは、サンバを踊る真だ。