AIR 最終話(第12話)「そら -air- 」

晴子さんのそらへの語りに見られる、前向きな明るさが本当に素晴らしい。このシーンで晴子さんは、さながらミュージカルか何かのように大きく体を動かして喋っている。これは確かに、12話の初めからずっと胸を打っていた、涙を誘う感動が消し去られるシーンではある。だけれどそこには、原作のように受け取り手の心に悲しさが残る作品にはすまいという製作者の強い意図がある。この演出をしたことによって、アニメ版AIRは、原作とは違った前向きな終わりを迎えることが出来たのだ。だから、単純に泣きたいだけの一回目の視聴では、涙を止められたことで不要な演出に思えてしまうかもしれない。だけれど、二回、三回と見ていくうちに、このシーンによって AIR というアニメが本当に救われていることに気がつく。晴子さんは観鈴ちんの死を乗り越えて成長していて、うだうだと町を歩いているそらの、そして視聴者の背中を押すのだ。羽ばたけ! って。
ひとつ突っ込むとするならば、ゴールシーンの晴子さん、涙が出すぎですよ。やばいですあれは。
あとは、来週の総集編を見たら、AIR を総集した感想を書こうかなと思っているんだけれど、ちょっと先走ってひとことふたこと。
全話を通して空や海といった背景が綺麗なアニメで、音楽も素晴らしい(だれか音楽をうまく褒める言葉を教えて)。そしてこれは、原作のようにプレイヤーがクリックして文章を読み進める必要なんてない受動的なメディア、アニメーションだ。だから、この国に数万といるであろう、Key のシナリオが苦手だという理由で原作を途中で投げた方にとっても十分に楽しめるはずだ。ただ見ていれば終わるのだから。そうやって見てみた人の中に、新たに AIR を好きになってくれた人がいれば、こんなに嬉しい事はない。などと恥ずかしげもなく言ってはみたものの、”Key のシナリオが苦手だという方”が、こんな AIR の感想を見ているわけもないな。