女神異聞録

19〜すべての人へ〜とかいうベストアルバムがいまさら発売されると聞いて、欲しいなあでも19はやっぱりすべてへまでだよね、九州が生んだハートフルイラストポウイット326がいなきゃだめだよね、とか思わず思っちゃう(いったいどっちなのだろうかという疑問は意味がない。思わずという言葉は意図せずにという意味を持つ副詞だからだ)よね、たぶん今5、6才の子供のなかには少なからず三二六(326(ミツル))君がいるよね、ということを
シナトラ千代子 - セガールとイージーミスで起きるダメージおよび回復、そののちの交際について
を見て思ったのだけど、例えばおれがその昔購入した326のイラスト集がたまたま素敵女子に見つかって、おれが焦ってあたふたしながら毛穴という毛穴から汗を高水圧で噴出してファントムエクスプロージョン!! と叫んでベルトーゼネタということにして誤魔化そうとしたら、おれの気を知ってか知らずかゼノンウィンザード!! と言って斬りかかってくるような女子だったら素敵だね*1とは思うけど、「326、あたしけっこう好きなんだよ」と言われたら、それもどうなんだろうとか思いながらも326ポエムの話をするしかないだろうな。そうなったときに、「どんなにチャンスが巡ってきてもぼくがゼロなら意味がない」とか「たくさんのちっぽけな「やさしさ」がどんどん広がって」とかを心が洗われる詩だよね、と言って褒めるのは恥ずかしいし自分に嘘をついている気がする*2ので、そういうときには「劇的、でも映画化は無理だろう」を取り上げようと思ってる。今では黒歴史として扱いたいくらいに326erであったときでさえ、その、感動に水を差すようなマイナス思考フレーズは、おもしろフレーズとして気に入っていたくらいなので、いまでも1回/1年くらい使いたくなって仕方がない。だから、使う。

*1:はプラネタリウムに似てる

*2:つっても無数のペルソナ群に一枚新たなやつが加わるだけではあるんだけど