というか23日はゲームの日

23日は勤労を尊んで国民が互いに感謝しあう日で、24日は収穫を祝い神に感謝する日なので、隣人と神に分け隔てなく感謝しましょう。あるいは、神でもなく働いてもいない奴を、声が枯れるほど罵倒して指が折れるほど殴りましょう。
ツンデレでもメイドでもなんでもいいんだけど、そういう設定の女性やキャラクターに対してただひとこと萌えるなんて書くのは自分で自分にオタクってレッテルを貼っているだけでなんの主張もなくて空しいのでもう書くもんか。誰が好き好んで、個人商店の売り物に貼ってあるようなちゃっちいレッテルというかシールにオタクと赤マッキー(極細)で書いて自分のデコあたりにペタっと貼り付ける類の空しさを味わいたいっていうんだ。そもそも萌えるという言葉がいまだに苦手なんだよ。もしくはいまだからこそ苦手。萌えるって書くと、AAやコピペや芸人のネタフォーマットを使っているような気分になって自分が使った言葉に思えない。摩訶不思議にも既存の雰囲気や意味を借用してる気がする。使用ではなくて借用。役人ではなくて過去。もしかしたら10年くらい前の萌えという言葉が生まれてすぐのころだったら普通に使えたのかもしれないけど、そのときおれはそもそも精通していないので使う機会はなかった。だから、もしも今タイムマシンがあったら、おれは10年前のおれを精通させてみたい。セルフボーイズラブ。とか自分で書いてて気持ち悪いので、こんなおれは声が枯れるほど罵倒されて指が折れるほど殴られればいいと思う。とにかく、メイド萌えるで済ませずに、メイドをクルクル回転させて遠心力でスカートを持ち上げたいというようなことをこそ、どんどん書いていくべきなんだ。だって萌えっていうは本来変態性欲って意味だったろう。少数の人間が限定された対象に向ける狭くて深くて熱いものだったろう。大勢の人間があらゆる対象に向ける広くて浅くて冷たいものなんかじゃなかったろう。いまならなんにでも使えてしまう。綺麗な数式を見て萌えることに違和感がなくなった時点でおれの萌えなんて終わったんだよ。数年前に。とうの昔に。萌えることが変態でない今、こんな言葉を誰が使うか。