最果てのイマ

イマジナリーネットってのを通じて全人類の意識を統べる王と、その全人類の集合意識として遥かな高みに存在する神と、人間の深層意識の奥深くで蠢く怪物グレーターワームという人智を超えたやつらが、滅茶苦茶かっこよくて、戦争編の終盤は身もだえするほどの楽しさだった。具体的に言うと、『グレーター・ワーム感知記録』で一気に引き込まれて、それから数時間はカタルシス感じっぱなし。今年読んだSFで一番。
だから、満足はしてるんだけど、そのおもしろさにたどりつくまでに、三十時間くらい、自意識溢れる七人グループの友情と愛情というエロゲーらしいシナリオを読まなければならなかったのには、とにかく難儀した。これが全然合わねえの。萌えない萌えゲー、コメないラブコメ、エロないエロゲーという印象。買ってからコンプまで二十日も掛かってしまったのはその所為ですよ。幸いにして、買ったゲームは最後までやらなきゃ損だという気持ちがあったので、少しずつながらもほぼ毎日進められたんだけど、もしもおれが成金で、金に糸目をつけないような人間だったなら、おそらく序盤の数時間で見切りをつけてた。そのくらい合わなかった。萌えないながらも萌えゲー、コメないながらもラブコメなのに、用語解説が衒学的だわ、ループはするわ、時系列はぐちゃぐちゃだわで、途轍もなくちぐはぐで、何をしたいんだかさっぱりわからないゲームだと思った。
そんな不満タラタラタラちゃんだったおれも今は昔、コンプした今となっては、用語解説やループやぐちゃぐちゃな時系列の理由も納得できたし、序盤のシナリオの友情や愛情も終盤の王に大いに影響を与えていたので、ちぐはぐなことなど何もなかったのだと解かり、タラちゃん自我崩壊、発狂、死亡。あばばばばばばばーー。
だけど、やっぱり三十時間は長すぎるのでタラちゃん完全復活。例えば、ひぐらしなら、「日常描写は合わないかもしれないけど、三時間くらいやればスゲー怖くなってくるから我慢してやってみて」っていうまだ納得できる薦めかたができるけど、「日常描写は合わないかもしれないけど、三十時間くらいやればセンスオブワンダーの快感を味わえるから我慢してやってみて」とかは無理がありすぎる。三十時間て。どう考えてもこのゲーム構成がおかしい。
普通、複数ルートのゲームなら、各ルートが十時間くらいで、八時間もやればシナリオは盛り上がってくる。でも、最果てのイマは、退屈な八ルートを三十時間くらいかけて終えた後に始まる戦争編がおもしろいという、あり得ないほど厄介なパターン。複数シナリオのあとで、最終シナリオが出現するというパターンは、AIRとかでもあったし、それ自体は別にいいんですけど、最果てのイマの場合は、複数シナリオと最終シナリオの中身が余りにも違いすぎる。『宇宙消失』くらい違う。『宇宙消失』が全九巻になって、八巻まではハードボイルド小説だったのに、最終巻だけ突然ハードSFになってるようなもんですよ。そして最終巻がめちゃくちゃおもしろい。どう判断したらいいんだ。せいぜい半々くらいでよくないですかね。
自意識溢れる七人グループの友情と愛情というのがエロゲーらしいシナリオだと感じるあたりに、この偏った構成の答えがあるのかもなあ。エロゲーらしいと感じるということは、そういうエロゲーが多いということで、言い換えれば、それが多くのエロゲープレイヤーに求められるものだということ。だからメーカーはそれを広報したいし、ライターにそういうのを書いて欲しい。勝手な想像だけど、三十時間分くらいメーカーの求めるようなシナリオを書いてくれたら、あとは納期に遅れない限りで好き勝手書いてくれて結構、という契約だと思えば理解は出来る。納得はできないけど。ただ、素でこういうシナリオなのかもしれないので、とりあえずクロチャンもやってみるかあと思った。
ああやべえ。「クロちゃんです(裏声)」って言いたくて仕方ねえ。面倒くさがらずに、クロスダガーチャンネルって書けばよかった。
そんなわけで、暇で暇で仕方ないSF好きにおすすめ。

追記

自意識溢れる七人グループの触れ合いが求められてるからそれが三十時間もかけて描かれてるというよりも、SFが求められてないから戦争編が最後の七、八時間に追いやられてるという認識の方が正しいのかもな。

最果てのイマ

最果てのイマ