最果てのイマ 2

トイレ→個室→自分の世界→最果てのイマ、というマジカルバナナで最果てのイマにたどり着いたので、感想その二。
クリア直後は、戦争部分のおもしろさよりも日常部分への澱んだ不満にガラスのハートを支配されてしまって、心が濁っちゃったので、戦争編の興奮を書き損ねたんですよね。日を置いて心もやっとガラスらしい透明感を取り戻してきたことだし、素直に興奮し直します。不満なんてものはいくらでも書けちゃうので、書くべきじゃなかったよ。日常部分をつまらなく感じたとしても、日常部分以外を楽しがればいいわけだし。なので、戦争編と関係のない日常部分とイマについてはノー言及にします。イマには前半のループや断片化のタネとしての意味しか感じられなかったので、日常キャラ扱い。
ほ、本当すげえよ、戦争編! ウッヒョヒョーイ! ウッヒョヒョーイ!! 
日常部分で、話に直接は関係のない用語解説(TCP/IPミーム、など)が出てくるのは理解に苦しんだけど、戦争編までやるとその印象はガラっと変わった。戦争編では、それらの要素を組み合わせて、連綿と上位に向かって収斂してゆく意識についての壮大なイメージが描かれるので、そのイメージの下敷きとなった知識の用語解説をゲーム内で提示してもらえるというのは、むしろありがたいことだったのだ。衒学という自己満足から一転、プレイヤーのことを考えて、理解の手助けとなる解説をしてくれていたのだとわかる。ノベルゲームという媒体ならではの気配りだ。それにしても、数十時間をかけて提示されたあらゆる要素がひとつの壮大な進化のイメージを描いたのには、あまりの美しさに呼吸さえ忘れたよ。美少女の人工呼吸が必要になるところだった。
あと、フランシスがかわいい。銀河ヒッチハイク・ガイド好きにはおすすめのキャラ。思わず「So long, and thanks for all the fish♪」と歌いたくなる事必至。
さっき最果てのイマの感想をネットで探してたら、

某巨大掲示板のイマスレ住人の中には田中ロミオグレッグ・イーガンと比較して語りたがる人間が複数いるようで、なんだか読んでいて居心地の悪い気分になった。

もりげのどうかと思うような日記 - ロミオとイーガン?

という感想を見つけた。おれってば数日前に、

最果てのイマの場合は、複数シナリオと最終シナリオの中身が余りにも違いすぎる。『宇宙消失』くらい違う。『宇宙消失』が全九巻になって、八巻まではハードボイルド小説だったのに、最終巻だけ突然ハードSFになってるようなもんですよ。

こうやってイーガンを引き合いに出してたので、ピンポイントぶりに笑った。まあ、おれは前半と後半の繋がりが薄いという点で引き合いに出しているのであって、内容はわざわざ言うまでもなく全然違うので、もりげさんを居心地悪くさせるような認識は持ってはおらず、ピンポイントでもないんだけど。