ひぐらしは自意識がない

現代のテキストアドベンチャーFPS(ファーストパーソンストーリー)なだけあって、一人称視点での内面描写が多いので、主人公に感情移入や共感ができるかってのが、楽しむ上で割と大きなウェイトを占めています。なので、むき出しのディスコミュニケーションの中でしか生きられないおれとしては、ひぐらしの底抜けの明るさは苦手だった。っていうのが結論ですね。
というか、シナリオが評価されるパソコンのテキストアドベンチャーってのは少なからぬ自意識を孕んでいるものだと経験的に思っていたので、ひぐらしにもそういう要素はあると思って臨んだんですけど、これがびっくり、ひぐらしって強い自意識がまったくない世界なんですよね。変な語尾も、奇怪な風貌も、押しの強いオタトークを教室で大声で話す事も、すべてがひぐらし世界では万人に受け入れられるんですよ。
あの、合わない人がやったら三秒で逃げ出すと言われる、僕らのキィの生み出した、稀代の大人気スーパーヒロインオブジエアー、観鈴ちんであってもですよ、学校では浮いているんですよ。ついでに言うとクラナドのサッカー部員は鬼畜なんですよ。なのにひぐらしはなんなんですか。なにをみんなで楽しく日常をやっていますか。姿慎めよ。そう思いました。
いや、まあ、ひぐらしは疑心暗鬼が重要なモチーフとなっている以上、自意識と両立させるのは望ましくないというのも考えられるんですけどね。わかりやすく言うと、疑心暗鬼ってのは、自分を見る他人への不信ですけど、自意識は、他人に見られる自分への不信。逆ですから。
さらに、疑心暗鬼には疑うべき人が多数いるほうが都合がいいですし、ギャップを際立たせるためには、日常を、その人たちとの明るく楽しい交遊の日々にする必要もあったのかもしれません。
いやいやしかしそれならば、平凡な人間たちの平凡なスポーツとかを日常にすればよかったんじゃないか。自意識の不在が気にならない遊びや話し方。ああでも、それじゃあ人気がでなくて、結局おれもやらなかったという気もする。難しい。
あと、個人的な好き嫌いに関係ない長所や短所はさんざん誰かが語っているだろうので、割愛。