死すの逆襲

いじめの定義とは、自殺の直前に起こった、自殺者に不快感を催させるでっきごとぉ。自殺すりゃあ過去に遡って彼はいじめられていたと決定付けられる。すなわち、背中に根性焼きで『ウンコ』と書かれているアイツはいじめられてはいないが、おとといパシられて昨日死んだ彼はいじめられっこ。ジュースを買わせたことが自殺にいたる凶悪ないじめ。明らかに明らかとは言えない相関。人なんていろんな理由で勝手に死ぬ。もちろん酷いいじめからの自殺という加害者死ねよという感じのもあるだろうけど、はたから見てるとなんでもないのに、なにかよくわからないものをこじらせてなぜか死ぬミステリアスなやつもいる。だけど思春期の場合、自殺するとほとんどすべてがいじめのせいだと思い込まれる。
いじめはありませんでしたと学校。対して、妄想がノンストップ京浜急行な学校以外全部。知ってて隠蔽してるんだろ! 教師がいじめたんだろ! ええ!? タカシを返してくださいよ! 校長!! 会見場でうなだれる校長。
翌日、罪悪感に苛まれて首を吊る校長。なんだかいじめられて自殺したみたいだね。いじめの連鎖。これは因果応報? まさか。
てなわけで、いじめられての自殺ってのは、いじめられっこが加害者に行使できるさいごのいちげきであると同時に、学校関係者へのダメージもものすごく大きいので、行使する人は、遺書の文面を調整して、加害者だけにバッシングが向かうように心がけるのが良いと思います。
ここから日記然に自殺の話。
もしも遺書なし自殺をしたやつがブロガーだった場合、直前のエントリーが遺書のような扱いを受けるだろうから、おれが自殺を決意するようなことがあったら、遺書を求めて飛びついてきたひとたちを困らせてやりたい。

生きていくのが辛いです。僕は明日、シンディ・ローパー(←「死んでやろうか」とかけた駄洒落)と思います。

みたいな失笑エントリで。括弧も含む。ただ、こうやって死んだ場合、勝手にシンディ・ローパーが死んでやろうかに変えて報道されそうでなあ。無駄死にになりそうで不安だ。
ところで、勝手にシンディ・ローパーってなんか響きの良いフレーズだ。偶然生まれた。気に入った。このフレーズを生むためにこのエントリを書いていたといまなら言えるよおれ。