おんみょう

こなたの「ゲマズ」に勃起するとは以前書いたとおりだが、びしっと指を突き出して「愛だよ」というのには一転、怒りを覚える。いや、覚えていた。明確な元ネタやきっかけがあるのかなんて知らないが、好いた惚れたという話題でもないのにふざけて半ば投げやりに愛に帰着させるなんてありふれた主張を決めセリフのような動きで強調するこなた。赤→三倍のような安易さで万物→愛との主張を自信満々に披露するこなた。月並みな主張が脚色されて太陽のように輝いている。あまりに不恰好だったからおれはそこに義憤めいた感情をいだいていたのだ。しかし、しかしこれはアニメだ。創造主が創りあげたものだ。ならば「愛だよ」が強調されることは、そのままこれが「愛だよ」が強調されうる世界だという創造主の主張そのものなのだ。そうか。「ゲマズ」の心地よい響きのように、「愛だよ」のむなしさもまたここには必要だったのかもしれない。「ゲマズ」の心地よさの影には「愛だよ」が隠れて支えているのかもしれない。「愛だよ」と「ゲマズ」は陰と陽。混沌のらきすたスープに生まれ、世界の礎となったふたつのもの。そういうことだったのですね、神よ。