アニメ、たくさんの独立した画

テレビっ子ラジオっ子からすると「35歳以上の羊水は腐ってる」くらいの発言はSILVAは毎週言っていたような気がするので、同じようにケバケバフランクな倖田來未のその発言はありなはずなんだけど、万人ワイドショーなインターネットではあっさり要所だけ切り取られるからむずかしいなー。
と、これに関連して、京都アニメーションの全フレーム整っている作画が好まれている(他人事ふうだがおれも好き)のも、インターネットによって動画自体に容易にアクセスができて、さらに任意のフレームで停止したり切り取って画像にしたりということまでできるからじゃないかと思ってる。P2P動画共有サイト、動画キャプ感想サイト、などで。
どういうことかというと、もし静止画として見れば整っていないカットがあれば、たとえば超絶バトル感のすごいNARUTOの30話などは、拳を振りかぶった瞬間に目を見開いて歯を食いしばっているサスケの顔がアップになったカットだけに注目して、変な顔だといって爆笑されてしまうということ。それはそれでおもしろいんだけど、製作者の意図とは違った見地での楽しみかただから、製作者や作品への好意には繋がらない。このNARUTOの例はいま思いついただけなので実際どうなってるかは知らないけど、ニコニコ動画でいろんなアニメなどを見ているとそういう類のコメントやタグを良く見る。そう、ソースはニコニコ。
そんなわけで、京都アニメーションは、よく動きながらも全フレーム整えることで視聴者をその穿った見地へと逃がさないようにしているから素晴らしがられているんじゃないかと考えた(他人事ふうだがおれも素晴らしがっている)。まさに非の打ち所がないというやつ。
アニメってのは20分強の動画じゃなくて24フレーム×60秒×20分=3万枚弱の画のことですよー。な感じだわ。