開発、ローカライズ、宇多田ヒカル

ニコニコで宇多田ヒカルメドレーが上位に来てたので、菊地真*1×宇多田ヒカルなMADを夢想した。
宇多田ヒカルアメリカ育ちだからか、日本の女性的な淑やかさを身につけておらず、ただただ天真爛漫としている。さらに今はショートカット。そこに真っぽさを見ている。そんなつながりで夢想した。漠然と。
宇多田ヒカルは、デビュー曲オートマチックからしばらくはアールアンドビーってよくわからんなーくらいの印象だったんだけど、いつのころからか歌詞がおもしろくなってきたのよね。ジェイポップのシンガーソングライターにありがちな共感必須のメッセージ性を極力排除(これもアメリカ育ちのおかげか)した上で、好き勝手に書かれたおもしろテキスト。RSSリーダー宇多田ヒカルを登録したいと思った。
さらに最近は「夢は国家公務員」などという地に足の着いた日本的生活観のある歌詞まで出てきたりして、おもしろテキスト開発だけでなくてアールアンドビーのローカライズの仕事もしっかりしているなーと思った。手広い女。
こうして手広くこなす宇多田ヒカルの実力に感嘆していたところに、『ぼくはくま』がリリースされ、ここではおれの自意識が図星を指された。そう、おれは『ぼくはくま』を好む類の人間なのだよー。よくぞ指した。くやしいけど感じた。くるまじゃないけど感じた。さらには『ぼくはくま』は宇多田ヒカル自身も気に入っている曲だと知った。
シンガーソングライターってのは、自分の歌詞を自分のメロディと自分の声でうたうっていう独力な職業。曲への印象と歌手への印象とは密接に絡み合うので、おれが好きな曲を歌手自身も好きという関係性は素晴らしい。曲の歩留まりは最高潮なのよ。
これに対して、例えば野猿みたいなグループだと、主導するとんねるず、作曲する後藤次利、作詞する秋元康とプロフェッショナルたちが番組の企画として生み出したグループだから、メンバー個人は曲の印象に関与しない。でもこれはこれでいつでも変わらず曲の魅力だけを楽しめるから良いとも思う。

*1:言及のたびに菊地なのか菊池なのか毎回検索して調べるのめんどくさいのでそろそろヘッダかタイトルにメモしたくなってきている