テレビと電池とカブトムシ

余った新品の電池は専用の区画に転がしておいて、使い終わった電池もまた同じところに転がしておくという不合理な電池マネジメントをしていると、いざ時計がとまったときにどの電池を使えばいいのか悩む。実際に使ってみて動いたものが新品だから片っ端から使ってみればいいかと思うんだけど、電池ってのは放っておいたらほんのちょっとだけ回復しているっていう不思議な性質があって(温度とかの関係かな?)、しかも時計なんてのは消費電力がめちゃくちゃ少ない部類だから、ハズレを引いてしまっていても最初だけはチクタク動いたりして、そして数十分後に止まってまた取り替えるなんてことになると面倒くさいなあと思う。
ところで、電池を放っておいたらほんのちょっと回復するというのは、好奇心旺盛な子供には気になって仕方ない謎のようで、小さいころにはいろんな理由付けを周りから聞いた。なかでも「テレビの近くにおいて置くとちょっと電池が回復する」なんてのは今でも覚えている。(テレビって静電気とかあって電気っぽいから充電もするんじゃ……!?)という考えに違いないわ。
また、子供と電池といえば忘れてならないのは、死んだカブトムシの電池を取り替えようとした子供の説話。これは生き物とおもちゃの区別のつかない「最近の子供」を憂う話なんだけど、ここに上のテレビ理論を組み合わせると、死んだカブトムシをテレビの上に置いて復活を祈る子供という画が思い浮かんでちょっとおもしろいわ。現代的な魔術の様相だよ。魔法陣とテレビの区別のつかない「最近の黒魔術師」を憂う話だとでも言えるかしらん。
しかし、今は液晶の時代。静電気もなければ、上にカブトムシを置くようなスペースもない。どうやらおれは「最近のテレビ」を憂うみたいだ。