抑えきれないアイドリティが太陽光ギャラクティック輝きながら

アイドルマスターはアイドルが10人、まあ厳密に言うと違うんだけど10人、いるので、それぞれをメインに据えたプロデュースをしようなんて考えたら、同じゲームを10周しなければならない。という一文を書いた段階ですでに、同じゲームを10周、っていう字面から感じられる圧倒的なまでののめり込みにそこまでの十字架(十周だけに)はおれには背負えないわーと思って……いや、本当は単純に面倒くさいという理由で十周はやっていなくて、春香もプロデュースから漏れていたんだけど、なんか昨日のCDの春香の曲がどっちも良いものにしようという意思と明るさとがナチュラルに感じられ、そこから同様のアイドル像も類推されたので、これはプロデュースしたいなあ、ラジオや二次創作などアイドルマスターからすこし離れた春香のイメージしか持ってないのは物足りないなあとおもい、プロデュースしてみましたらば、すばらしかった。この子は「みんなが喜んでくれるから歌いたい」と言ったり、ちょっとした日常に楽しさを見出していつも笑っていたりで、プロデュースしていてしあわせだった。さすが本来アイドルマスターのメインアイドル(360版は美希だけど)なだけある。春香にしあわせを感じてもニッチな要求を満たされた感覚などなく、みんなにアイドられるアイドルをおれもアイドってるだけだぜーというふうにおもった。鬱屈していても陽光の元に出れば気分も晴れる。春香をプロデュースすれば気分も晴れる。太陽から絶え間なくそそがれてあまねく天下を照らす陽光がこんなにちかくの春香からもたしかに湧き出ていて、まぶしいくらいだけど、それをあびたら気持ちよかった。書を捨てよ、春香をプロデュースしよう。そしてとくにメールブーストと俗に言われる一日中最高テンションの日は、ゲーム的なわかりやすさのためか、春香から物理的に光子が放出されていてその輝きが目に見えるので、こうなってくるともう本当に太陽を人格化したアイドルなのだとしかおもえないので、本物の太陽の立つ瀬はなく、春香の持ち歌であるところの「太陽のジェラシー」という言葉はもっともだなあとおもった。しかし春香に対する太陽のジェラシーを春香に歌わせるというプロデュースの仕方は倒錯しているようにもおもう。太陽に対するサディスティックな性欲をかんじる。