始まってゆく
気づいたのは、真を見かけすぎるっていうこと。
「マコって誰ですか?」
「それは菊地真です」
「魔法の真の力」
「たしかに真の性質は魔法的ですね」
「ジャンジャンバリバリ状態です」
「はい、真の口癖ですね」
連結されるのだ容易に。それは思うだけならばまだいい。思う権利は保障されている。しかしそのエントリーのブックマークコメントにそれを書きたく、どころか、あまつかみ、あまつかぜ、あまつさえ! コメント欄に書きたくなるデンジャラストラトス! ウー! ワナ! な編集者が九十年代からタマシイムマシンに乗っておれの豆腐みたいな前頭葉と入れ替わってしまうの。それはきっと、真という単語が全員の全日記に最低一回はでてくる頻出語だから。その同時多発的な真存在が、無秩序な世界の混沌のなかで共振し合い、数十億年後にひとつの巨大なうねりとなったとき、そこには意思が創出され、ただ論理としてのみ存在するそれが、空間にも時間にも縛られない、時空を貫くゲートという形を取ってこの宇宙に表出され、結果、現代にウー!ワナ!を可能にしているんだ。すべては真を広めるためという生命としての本能で。未知なる道へ、常なき永遠へ、新しい私になる。終らないMy Song・・・。そして唄うために。へへへへへへへへへへへへへっ!