雪歩について

三日ほど前、強い雨が降っていて、傘を右手に持っていたら、左半身がぬれました。左手に持ったカバンは中までぬれました。雨にぬれない傘がほしいと思いました。そういった需要を考慮したのか相々傘用なのかはともかく、楕円型の傘というものもあるらしいのですが、それでも円形の傘よりはややぬれないだけであって、横殴りの雨の場合はやはりぬれそうに思います。
精神が減退してタメ口力が損なわれたのに加え、一度敬語でも書いてみたかったので、今回だけ敬語で失礼します。一人称おれも変えてみたいところですが、最初に思いついたボクに移行してしまうと菊地真文体になるだけですよ! プロデューサー! へへっ!! なのでひとまずおれは保ちたいと思います。
閑話休題。雪歩なら、「穴を掘って埋まってますぅ〜」と言って、手に持った傘を、開いて雨をさえぎるためにではなく、地面を掘るために使うと思います。地中を進めばぬれないからです。横に掘り進むまでに縦に掘っている間はぬれると思うかもしれませんが、スタートとゴールを屋内に取ればぬれません。傘で地面は掘れないと思うかもしれませんが、その点は説明できないので無視してください。
なぜそんなことを思うのかというと、先日、雪歩をプロデュースしているときに届いた遮光カーテンについてのメールに、こんな文面があったからです。

「あ、私は、気分が落ち込んだ時とかに、カーテンをしめたりしています。そうすると、穴に埋まっているような気分になって、少しだけ…、おちつきます」

このメールを読むまでおれは、雪歩のよく言う「穴を掘って埋まってますぅ〜」という言葉は、「穴があったら入りたい」という常套句における、穴があったら、を、穴を掘って、とすることで、ただの逃避願望を逃避への具体的な計画に変えた言葉遊びだと思っていました。逃避という消極性への過度な積極性の表明であり、働いたら負けだと思っているようなものです。
しかしこのメールで示されているのは、雪歩が穴に埋まることを日常的に行っているという事実です。比喩を行う場合、そこで用いる物や行為は実際に知っているべきなので、今回のメールで、「穴に埋まっている“ような”」と比喩的に使われている「穴に埋まっている」の部分は、雪歩にとって実際の体験であり行為なのだということになります。花のような笑顔という場合に、花を知っていなければ不自然だから、といえばわかりやすいかもしれません。
そういったわけで、雪歩が四六時中言っている「穴を掘って埋まってますぅ〜」という言葉が、(今まで思っていたように)落ち込んだときの常套句なのではなくて、誠実に穴を掘りたいという意思を語っているだけなのだと感じられるようになって、雪歩の性格の理解にもつながり、好感を覚えました。
雨の避け方については、雨が降って傘の存在を意識することよりも、雪歩が「穴を掘って埋まってますぅ〜」と言うことの方が頻度が高い印象があるので、いざ傘を開くことと地面を掘ることがかち合ったとき、雪歩にとっては地面を掘ることのほうが違和感のない行為なのではないかと思います。地中を進んだ方がぬれないという実際的な理由もあります。
書き出しのせいで、まったく不要だった雨の避けかたに主眼をおいてしまいましたが、日記を書く動機は、雪歩のひととなりがわかってかわいく思えてきたよ、という気持ちでした。また、雪歩は、真が好きだ(これは二次創作的な設定ですがおれは受け入れています)ということと、性格から、自分と同一視してしまうところがあるので、遊んでいるときは、プロデューサーとしてプロデュースして雪歩かわいいなあと思うとともに、雪歩としてプロデュースされてプロデューサーさんの優しさに感激もしています。