ロストオデッセイ

興味自体は発売前のトレーラー(宣伝動画)を見たときからあった。以前から不老不死の人が複数出てくるゲームという知識はあったが、特にその設定だけで気を惹かれるということはなかった。そのトレーラーで、三十歳前後の女性が七十歳前後の男性の頭に手を乗せて「アタシの息子だよ!」と言うシーンがあり、現実ではありえないと同時に、不老不死ならば必然的に生まれるシーンだな、と思った。つまり、不老不死は現実に存在しないが、もし不老不死が存在したならば起こりえることを、現実の枠組みで考えた物語になっているのではないか、と思った。
実際にもそのようなものだったと思う。不老不死の人間が、老いて死んでいく知人を何人も見続けることで、命の儚さや尊さや輝きを知るという話だった。こう短い文章にすると因果関係に疑問を感じもするが、ゲームを遊んでいるときはそういう考えに同調していた。
ただひとつ残念だったのは、不老不死でない死亡した人物が、よくわからない奇跡的な思いの力で現実に影響を及ぼした点だった。よくわからない奇跡的な思いの力は好きだが、不老不死と非不老不死の対比によって人生について書こうとしているこのゲームに限っては、死を曖昧にすべきではなかった。
また、興味深かったのが、情報ログの取り扱い方だった。先月遊んだバイオショックは、拾得した場でそのままゲームを中断せずに耳で聞けるボイスログという形を取っていたが、ロストオデッセイでは、ゲームが完全に中断され、ビジュアルノベルのようなパートに移行するというものになっていた。情報ログを読んで(聞いて)もらうために、ゲームを妨げずに情報を得られるバイオショックは、気が利いていて素晴らしいものの、ゲームデザイン進化ツリーを順当に進んでいるという感じだったが(だったがと書いたがそれでいい)、ロストオデッセイは逆方向に突き進んで分断されたビジュアルノベルのようなパート、といってもただそれだけなのではなく、たとえば「風が吹いた」という文字列が風に吹かれたように飛んでいったり、「涙」という文字が涙のように画面下に落ちていったり、と文字を躍らせまでしており、意図的だな、と思った。ロストオデッセイは、過去に戻ったような古いRPGの様式で作られているので、マップの移動や戦闘やカットシーンのたびにゲームが分断される。そういう土台の上では、無理に情報ログをシームレスに組み込むのではなく、意図的に分断させて、独立したコンテンツとして作りこもうという考えなのではないだろうか。実際に、それほどストレスもなく自然にこのビジュアルノベルパートを受け入れられたような気がする。最初に移行したときはさすがに面食らったが。過去に戻ったような古いRPGの様式でこれからもどんどんゲームが作られるなんてことはないだろうから、これからの何にもつながりはしないけど、これもまたゲームに最適化された情報ログだった。

ロストオデッセイ Xbox 360 プラチナコレクション

ロストオデッセイ Xbox 360 プラチナコレクション