非漏らしのなく頃に

インターネットを見ていたらうんこをもらしたことについての日記をみかけたので、僕もうんこをもらしたことについて書く。
小学一年生のときに四時間目の授業中に便意を催したが、授業中にトイレに行くのが恥ずかしかったので、昼休みまでもぞもぞしながら必死で我慢し、チャイムが鳴って授業が終わると急いでトイレに駆け込み、パンツをおろした。しかし、そこで漏らした。あと数秒我慢できればよかったが、結局はパンツまでうんこまみれになってしまったので、そのままパンツを履いて教室に戻り、いすに座った。しばらくすると、バレた。
というのが記憶なんだけど、不自然じゃないだろうか? いくら六歳児とはいえ、トイレで漏らしたのなら、その場で洗ったり拭いたりしようという発想くらいは思い浮かびそうなものだ。それに、チャイムが鳴るシーンあたりからは、感情についての記憶が抜け落ちている。
今の僕が思うに、過去の僕は教室でうんこを漏らしたものの、その記憶がショッキングすぎるために、トイレで漏らしたことに記憶を改竄したのではないだろうか。非漏らしとたった数秒の差しかなかった、それならばほとんど漏らしていないようなものだ、と思い込みたかったのではないだろうか。
記憶はあてにならない。今だって同内容の日記を以前に書いたような気がしている。