Braid

誰も彼も絶賛で体験版もその通りにおもしろかったので良いゲームなのはわかっていて期待も不安もないゲームだからそのうちやればいいかと思っていたBraidをついにやって、確かに完璧だった。
すべてが最後のシーンに集約した。そのシーンは言葉が一切ない只のプレイ映像のようなものなんだけど、それまでの数時間の体験や時間操作というシステムやプリンセスさがしのシナリオなどすべてを結びつけて、繰り返すけど2Dのアクションゲームのただのプレイ映像を見てるだけなのに、すべてを集約させて、切ない物語を生み出していた。文章でないので、物語を発見したような興奮もそこには伴い、涙ぐんで感動したんだけど、同時に気持ち悪いくらいに合理的なゲームだとも思ってしまった。最後のシーンがよかったという感想をどうやったって無視できないくらいに統制の取れた作品が、ゲームなんていう千差万別のプレイ体験を伴うジャンルから生まれるなんて信じられない。人間業ではない。そう勝手に思っておいた。ほかのジャンルもゲームも良く知らない。
最後のシーンに至るまでのゲーム部分だって、時間操作を軸にすえたおもしろいパズルアクションだったけど、おもしろいパズルアクションですと説明したいゲームでもない。ワールドごとに読めるテキストだってコミュニケーションの断絶を抽象的に語っていておもしろかったんだけど、それもつまりは最後のシーンへの布石なのであって、あまり切り取って語りたくもない。ゴールのために完璧に作られてしまったBraidはもう分割できないと感じる。
そしてBraidはみつあみという意味。みつあみが分割できない最小の要素。そう考えると、なんだかチョ→ひも理論っぽくなってきた。愛するプリンセスのみつあみの振動によって、すべての粒子や力や物語は生み出されているんだ。時間操作もティムもすべてプリンセスのみつあみが生み出していたんだ。そもそもタイトルがBraidなんだからみつあみが主人公なんだ。
心に響くくせに細部がよくわからない物語なので、こうして好きな結論をみんな用意するのもいいかもしれない。する必要は、もちろんない。
と書き終わったおれが外に出ると、夜明け、君に届けノーザンライツ、世界のすべてが緑色に輝いていた。自分だけが時間に取り残されているんだな。*1と思いながらも、腕をクロスさせXボタンを模してしまう。自分だけが取り残されてしまう。まったく成長できない。死ぬまでこのように繰り返しインターネットになにかを書いているのだろうな。そんな気分です。どうぞよろしく。

*1:BraidではXボタンで時間を逆行させられるんだけど、緑色にきらきら輝いている場所だけは、逆行の影響を受けずに時間が進む