あなた以外全部虚無(Nothing without you)

私は読んでいないので内容には深く突っ込めないのだが、日本以外全部沈没という筒井康隆の小説があり、このタイトルを○○以外全部××と任意に改変する遊びがある。これは大変楽しいもので、私もグー以外全部チョキ! 大勝利! などとひとりごちて遊んだりする(嘘)のだが、それはそれ。いま思ったのは、これを○○以外全部○○とすると楽しさは一転、おそろしさに変わらないだろうか、ということだった。
たとえば、自分以外全部自分はどうだろう。道行く人、家族、インターネットの人、知人、すべてが自分なのだ。きっと自分は世界を愛しすぎたのだろうと思う。好意は虚像を生む。好きな人が私と同じことを考えているのだと願う。それがもし世界すべてに向いていたらどうなる? 誰もが自分の主張を代弁し、誰もが自分のように振舞っていると感じるのだ。ありとあらゆる人が自分。始めは自分が受け入れられていると感じるかもしれない。それはある瞬間までは幸せなのかもしれない。しかしいつか必ず気づいてしまうだろう。鏡を覗き込んでも、そこにだけは何の質感もなく、ただ虚無の深遠からこちらを覗く目があるのみだと……。

鏡の――
中で――
鏡の中で―――――
《何》かが―――蠢く―――――。
《オォオオオオオオオオオォオオオ……》
ライアー大戦じゃんまげどん

その目は自分を捕らえて離さず、自分は鏡に吸い込まれるようにして意識を失った。
 
真以外全部真としたかったけど、意味がわからないし、真いじめにしかならなくてかわいそうなのでやめた。みなさんもお気をつけください。自分以外全部自分でも依然として意味はわからないような気はするが、それでいいのだと思う。なぜなら、ぼくたちは、べつじんなのだから。
 

Nothing Without You

Nothing Without You