skate2

「足なんて飾りです。偉い人にしかそれがわからんのですよ」
自由に移動のできる広い街が舞台で、生身の人間がボードに乗っているのに、ボードから足を降ろすという極めてシンプルな動作が、前作skate.ではできなかった。スケートの爽快感だけをゲーム化したからだ。降りたらスケートじゃないじゃん! 歩くんならfoot.というタイトルで新たにゲーム化じゃん! という主張を感じさせるこのデザインは、車ゲームのほとんどで車からドライバーが降りられないのと似ている。だけどskate.の場合は、生身+ボード一枚という如何にも容易に降りられそうな出で立ちだったので、インパクトがあった。「おまえ降りられるだろうフヒヒ」「降りないよりもずっと乗っている方がよっぽど難しいだろうが!!」しかしそんな現実の囁きやツッコミに、ゲームの主人公氏はいっさい耳を貸さず、常にボードに乗っていた。
降って沸いた開発者視点で考えると、歩行時には右スティックが視点移動(スケート時ではボード操作)にならざるを得ないので、歩行をゲームに導入すると、高速でスケートで前進している最中も常に歩行モードに即切り替えて視点を回転して後ろをスムースに向けるように、スケート的にはどうでもいい後方のテクスチャも読み込んでいなければならない。そのせいで前方のオブジェクト(物体)が減ったり絵が粗くなったりするのは嫌なので、歩行ごといらないよ、ということなのではないだろうか。ならば思い切っている。そしてスケート時はボード操作が右スティックなので、このゲームには視点操作が自然と存在しない。今世代のフリーローミング(自由に広い世界を移動できる)ゲームで視点を動かせないことに違和感がないのはskate.くらいなのではないかと思う。視点と密接に結びついている右スティックが、スケート中はボード操作だし、歩行はそもそも存在しない。合法的に視点移動を排除できているのでリソースをほかに割けている。
それがskate2では歩ける上に、操作性はすこぶる悪く、後ろのテクスチャでも読み込んでいるのか、その操作さえたびたび効かなくなる。どう考えても良くないんだけど、おもしろくて大好きで二日で三十時間ほど遊んで疲れはてているゲームなので、なんとかおもしろい説明をと模索していたら、前作でボードに乗りっぱなしだった主人公氏は歩き方を忘れてしまったのだ! という理解に達した。足という乗り物に慣れていない彼は、フラフラするのも当然、急に振り向いたりできないのも当然。この理解なら客観に勝利できるぜ!
あと、一行目から人を真顔にさせること請け合いのジオングの整備兵改変は、開発者(偉い人)は歩行が要らないという判断を下したけど、プレイヤーの意見を取り入れた結果、2では歩けるようになった、という意味だった。ほかにも、ダイナミックで見づらい視点だけだったのが、見やすいシンプルな視点も2で導入されたというのもある。プレイヤーの意見を取り入れるのは良いのだけど、マイナスな側面を認知していながらも導入した(しなかった)と思われる、開発者の主張や存在を感じさせる要素が、合理的な方向に変更されるのはなんだか悲しいなと思った。

スケート 2 - Xbox360

スケート 2 - Xbox360