ゲームについて

最近マジコンの話題を良く見かけますが、マジコンの話題はまぶしいです。具体的に言うと、怒りをあらわにする人がまぶしいです。
楽しさや気持ちよさなど幸福に類する感覚を得る対価として、また、そういった感覚を与えてくれる人への報酬として、金銭を払っているのなら、金銭を払わないのが不当だと思えることを想像できますが、私は、全タイトルの中から相対的におもしろそうなゲームに、金銭を払ったという重みを加えることでやっと遊び始めることができているという感覚なので、無料でゲームを遊ぶ人もそれに怒る人も、第一にゲームを遊びたいと感じている、すなわち好いているように思えるので、まぶしいです。私の人生のリソースを多く費やしている対象を、私より好いている人をまぶしいと言わずに、何をまぶしいというのでしょうか。
ただし私は、ゲームを遊んでいる時間は長いので、タイトルごとの優劣、タイトル内の要素の優劣などを含んだ感想を抱くことはできており、それらの感想は正規化され、幸福とは切り離された感想が最高から最低まで分布します。なので、ゲームがつまらないと思っているわけではありません。感情の基準が低い位置にあるというだけです。
また、ゲーム一般について、「ゲームをした」の六文字でさえ少しまぶしいので、ゲームを遊ぶ皆様におかれましては、幸福ではないことを感じさせて、どんよりと靄のかかったような雰囲気にしていただけると、光は散乱します。幸福の度合いに限らず「ゲームが好き」レーザーには焼かれます。
まぶしいものは良いものだと思います。