順列都市

世紀のアナグラム小説。「うこん」にされた「うんこ」が「うんこ」としての自我を持ち続ける不思議ストーリー。そして最後はやっぱりアイデンティティー。自己を変革した人間は、まだその人間であると言えるのだろうか。
長編数本分のアイデアを詰め込んだ! みたいな便利な評し方があるけど、実はイーガンはアイデンティティーについて書いているだけで、あとはアイデンティティーを考えるための舞台装置じゃないのか。自己を変えまくったり、まったく変えなかったり、微妙に変えたりとかする奴らを同時に存在させるための。
ってね。まあ、そんな精神のアイデンティティーも大変おもしろいのですが、肉体的なアイデンティティーについて考えさせられますよね、鈴木詩織を見ていると。整形前の家族写真と整形後の風俗嬢写真とを見比べた印象なので、写真の取り方や表情の作り方の影響もあるんだろうけど、それにしても変わりすぎ。とても同一人物だとは思えない。
ああ、順列都市の最後でマリアが抱く不安もこんな感じなのかもしれないなあと、うこん茶を飲んだあとにうんこをしながら思いました。


順列都市〈上〉


順列都市〈上〉