竜の卵

竜の卵という中性子星に生まれた知的生物のチーラが、人間のように考え、行動し、進歩していく話。中性子星の強力な重力な磁場に押しつぶされて引き伸ばされているために、姿形は、任意に変形可能なアメーバと鮑の間の子という感じのグロ生物なんだけど、考え方が極めて人間的なのと、固体惑星の表面という地球的な舞台なために、まるで人間の進歩の歴史をそのまま見ているような印象。
当の人間は何をするのかというと、遠くの地球とかいう星から竜の卵の上空までやってきて、啓示的な光で大地を照らしてチーラの宗教の神のごとく振舞ったり、様々な知識をチーラに授けてくれたりするというオーバーロード的役目。主人公はあくまでチーラ。最終的にチーラは神たる人間の科学を追い越して、超光速航行もブラックホール生成も反重力も可能なレベルにまで進歩するので、人間賛歌ならぬチーラ賛歌小説と言えるかもしれない。地球の西暦2006年レベルの科学水準のチーラにこの小説を読ませたら楽しみそう。
あと、どんなに科学が進歩して文化が成熟しても、ネーミングセンスだけまったく進化しないチーラという種に萌える。
というわけで、おもしろかったんだけど、ちょっと気になったところがある。チーラが赤道付近で見当識を失ってしまう理由の示唆として、

伝書鳩の帰巣性には、地球の南北方向の磁場と、東西方向のコリオリの力とが利用されている。ここでの自転の赤道付近のように、磁力線とコリオリの力とが同じ方向になっていたとしたら、伝書鳩は完全に方向感覚を失ってしまうだろう。

(98ページ)

という表現があって、これがまったく腑に落ちない。どんな向きの磁力線であっても、それに直交する方向に進みさえすれば、場所に限らず磁力線とコリオリ力とは同じ方向になるはずで、赤道付近である必要はない。この表現をそのまま受け取ると、コリオリ力が東西にしか働かないかのようで、言い換えれば、伝書鳩もチーラも南北にしか動かないということになり、意味がわからない。こここここれってどどどどどういうことだ? 赤道付近ではコリオリ力がなくなるから見当識を失うという理由なら納得できるんだけどなあ。
と書いておいてこの違和感がおれの素っ頓狂な勘違いだったら文系転向。

竜の卵 (ハヤカワ文庫 SF 468)

竜の卵 (ハヤカワ文庫 SF 468)