世界樹の迷宮、流砂

「ゲームの難しさが自分の実力の無さのせいだと実感できれば、向上心を持って楽しめるが、それをゲームの不備だと感じてしまったら、ゲームから離れるほかない。ゲームは自分と違って向上しないから、手の施しようがない」という論に通じる、「流砂を上手くマッピングできないのはマッピングシステムがショボい所為なのでお手上げ、さようなら」という気になった。が、微視的すぎる。難しさを、自分の実力の無さではなくてゲームの不備だという印象で捉えた、そのそもそもの理由が抜け落ちている。流砂の階に来たときに、すでにゲーム内の難題をつまらないと捉えるような心持ちになっていたってことを思い出せ。世界樹の迷宮にどっぷりとハマり込んで流砂にまでたどり着いていたなら、楽しく工夫してマッピングしたはずだ。流砂は理由でなんかない。
すでに飽きていたので、飽きる理由として妥当な後付けの理由を無意識に求めながらダンジョンに潜り、流砂を見つけたのだ。
「流砂をマッピングできない!」
「おお、それは飽きの根拠として妥当だ」
「よし、これで飽きたように振舞える」
ってなもん。そしてそもそも流砂までに飽きていた理由というものは、けっきょくわからない。理由の理由はわからない。遡っても遡っても世界樹のように深く、終わりはない。やってみても、書いてみても、読んでみても、何が楽しかったのか、何がつまらなかったのか、わからない。とか微妙にポエム調になってきたのでそろそろエントリーイズオーバーだ。またね。